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ロサンゼルスへ来て一ヶ月が過ぎたが、メディカルセンターでは相変わらず会話の糸口をつかめずにいた。
僕は、自分が内気でぶっきらぼうな人間だということに、改めて気づかされた。陽気でおしゃべりで闘争心をあらわにするアメリカの研修医を見ていると、僕は本当は外科医に向いてないんじゃないかとさえ思えてきた。
僕は孤独だった。うすら寒い気候と、やたら肉類と油物が多い乱れた食生活、そして表面的に流されていく日々の多忙さが、そんな気持ちに拍車を掛けていた。
そんな僕を支えていたのは、多恵子からのメールと小包の数々だ。彼女のメールは沖縄の温かさに溢れていたし、やってきた小包からは、懐かしい沖縄の香りがした。僕はゴーヤーチャンプルーを作り、塩せんべいをかじり、シークヮーサージュースを飲んで、明日からも訪れるであろう試練の日々に備えた。
ある土曜の夕方、大家さんがまた僕宛の小包を二つも持ってきた。
今回の小包はやけに重い。表を見ると、BooksとかMagazineと書いてある。何だこりゃ?
部屋に着き、僕は段ボール箱を開けた。差出人は多恵子じゃなかった。Kei Shimabukuro、島ちゃんだ。
いやー、見事なまでにほとんど全部、エッチ本です。しかも、1980年代の『平凡』とか『明星』なんてものも混じっている。そして、ダンボールの底には、こんなメモが貼り付いていた。
これだけあれば十分だろ。多恵子、泣かすなよ?
あのね、島ちゃん。これは好意と言うより、どう考えても君の部屋の処分物としか思えないんだけど。第一、石川秀美の水着姿って、いつの話だよ? 確かにこういう系統の女性、嫌いじゃないけどさ、むしろ好みかも、…って、ちょっと、何を言わせるんですか?
ええ、折角の贈り物ですから、ベッドの下にでも積んで大いに活用させていただきますわ。
その翌日。日曜の夕方のことだ。チャイナタウン近郊にある大型ショッピングセンターの駐車場で発砲事件があり、黒人男性の患者さんが運び込まれた。
その日、僕は早朝からずっと対応に追われ、全く休憩を取ってなかった。ひっきりなしに患者さんが運び込まれ、食事どころではなかったのだ。
空腹でいらつく心を鎮めながら、僕らは患者さんのバイタルを取り、気管挿入を行ってオペ室へ運び込んだ。一刻の猶予も許される状況ではなかった。
“Uema! Why don't you air out for a while ? Leave him to us !”
僕の指導医であるDr. Murdockから声が掛かる。
“Can I take a break ?”
“You've been working too hard today. Resume in 15 minutes !”
“Thanks !”
僕はゴム手袋を外し手術室の外へ出た。ようやく休める!
時間は十五分しかない。僕はいそいでトイレで用を足し、自販機でSnickersを買うと、再びオペ室の近くへ戻った。
Snickersの封を切ろうとして、僕は足を止めた。小さな黒人の男の子だ。左手の親指をしゃぶりながら、一メートルあるかないかという背を伸ばし、見えないオペ室のドアを覗き込もうと必死になっている。
“Hi, What's the matter ? Do you want to see there ?”
男の子が、ちらっとこっちを見た。何もしゃべらない。必死で、何かを訴えかける目をしている。そこへ、ナースが駆け寄ってきた。
“Daniel ! You were there ! I've looked for you ! Hey, let's leave from here.”
連れ去ろうとするナースの様子に、普通ではないものを感じた。僕は彼女を呼び止めた。
“Excuse me. Who is he ?”
“He is this man's son. He just watched someone shot his father.”
…嘘だろ?
“Is that true? How old is he?”
“Maybe, he is three years old now.”
“Three years old ?!”
三つ?! 三つなる童ぬ、男親、ピストルっし撃たりゆる有様ー、あからさまに(はっきりと)見じょーたんでぃなー?
僕は思わず、ダニエルを抱き上げた。僕自身、父親を三つで亡くしている。そう、ダニエルは、昔の僕だった。
抱き上げて背中を撫でても、ダニエルは、親指をしゃぶったまま何もしゃべらない。自分の今の状況を理解できず、放心状態なのだ。
僕は必死になって、ダニエルを慰める方法を探した。彼に僕がしてあげられること。それは、歌うことだ。僕は「ちんぬくじゅうしい」という歌を口ずさんだ。
あんまー薪のー煙とんどー(お母さんの薪が煙っているよ)
煙ぬ煙さぬ涙そうそう(煙が立ち込めて涙が自然に出てくるよ)
ヨイシーヨイシー泣くなよー(よしよし、泣くんじゃない)
今日ぬ夕飯何やがてー(今日の夕飯は何だろうね)
ちんちん 里芋雑炊飯(里芋が入った雑炊ご飯だよ)
主が畑から戻みそち(お父さんが畑から戻っていらっしゃったよ)
冬瓜に南瓜、黄大根(冬瓜とかぼちゃとニンジンをもっていらっしゃったよ)
粉吹き芋ぬ煮とんどー(粉吹き芋ができあがっているよ)
豆腐臼ぬ回とんどー(豆腐を作る臼が回っているよ)
くんくん豆汁七椀(豆汁がいっぱいでてきたよ)
歌い出してから気がついた。しまった、これは食い物の歌だった!
僕の頭の中で、冬瓜と南瓜と黄大根が、豆腐を作る臼のようにぐるぐると回り始めた。
全く、かぼちゃやニンジンなんて、ここしばらく口にしてないぜ?
くっそー、腹減ったー! 情けねー!
ダニエルの父親は、戻っては来なかった。そしてダニエルは、僕の腕の中で親指をしゃぶったまま、静かに涙を流していた。
まもなくダニエルは、ソーシャルワーカーに引き取られていった。さっきのナースも一緒だ。
“Dr. Uema,”
“Huh?”
“You did good job!”
ナースの言葉に、僕はただ、力なく頷いた。そして、それから二時間後、僕はようやく勤務を終えたのだった。
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